ロシア帝国は満州支配を強める傾向にあり桂内閣は
ロシア帝国は満州支配を強める傾向にあり桂内閣はロシア帝国の南下政策に共通の懸念を持っていた大英帝国と1902年に日英同盟を締結してロシア帝国との対決姿勢を整え、1904年に日露戦争を開始する。日本海海戦などでの日本の勝利を経て、米国大統領の仲介でポーツマス条約が結ばれ日本の満州と大韓帝国の権益が確保された。しかし、賠償金が得られずそれを不服とした日本の民衆が日比谷焼打事件を起こした。日本はロシア帝国との協商も続けつつ、1906年、関東都督府を旅順に設置、南満州鉄道株式会社も同年に設立して「満州経営」の基盤を固め、「満蒙特殊権益」論を展開していく。そして1910年には大韓帝国を正式に日本と併合した。これを以って、大日本帝国が名実ともに国際的に認知されることになった。一方、日本国内では、立憲政友会の結成などで尾崎行雄・犬養毅らが登場すると、護憲運動が始まって「憲政の常道」が慣習化していく。
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1911年、中国大陸では三民主義を唱える孫文らによる辛亥革命が起こり、宣統帝が退位し、翌年の1912年には中華民国の臨時政府が南京で成立した。中華民国暦が採用されることになり、中華民国憲法発布に伴って宣統帝を総理として支えた袁世凱が孫文から大総統の地位を与えられると、首都が北京に移り、結局帝政が復活することになる。その頃になると上海・広州・天津・漢口などの都市が発展し、東亜同文会が東亜同文書院などを開設するなどした。