秀吉とは珍しい恋愛結婚だったと言われている。資料によると2人は「野合で結ばれた」と書かれており、これは縁談などが全くない恋愛だったことを意味している。もっとも当時の秀吉の身分はまだ非常に低く、ねねも浅野家の養女に過ぎなかったためある程度の自由恋愛も可能だったと思われる。それでも結婚時点での身分は、ねねの方がずっと上であった。
ねねと秀吉の結婚に彼女の実母・朝日は生涯反対していたために、浅野長勝の養女となって結婚した。
信長とは個人的に親しかったらしく信長が安土に移った頃、ねねから秀吉の浮気を訴えられた信長は彼女に激励の書状を送っている。この書状は信長が部下の妻にあてたものにしては非常に丁寧な文章であり、信長の女性に対する気配りと秀吉とねねの夫婦仲をうかがわせる数少ない史料である。大意は以下の通り。
「…この前久しぶりに会ったがあなたはいっそう美しさが増している。藤吉郎(=秀吉)があなたに対し色々と不満を言っているようだが、言語道断である。あの『ハゲネズミ(=秀吉)』があなたほど素晴らしい女性を他に得られるはずはないのだから、あなたも奥方らしく堂々として、嫉妬などしないように。この書状は秀吉にも見せてやりなさい…」
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豊臣政権においては「糟糠の妻」の功績から大きな発言力と高い政治力を持っていた。彼女自身は改宗することはなかったが、イエズス会の宣教師たちには色々と便宜を図っており、ルイス・フロイスは「関白殿下の妻は異教徒であるが、大変な人格者で、彼女に頼めば解決できないことはない」とまで賞賛している(『日本史』)。なお、フロイスはその『日本史』の中でねねを「女王」と称している。
関白就任後の秀吉に対し、諸大名の面々の前で尾張訛りの口喧嘩をしたとの逸話もある通り、気の強い女性であった。
甥の秀秋を可愛がっていないことをたしなめる秀吉からの手紙が現存している。
前田利家の正室の芳春院とは親密な関係であったという。